【街歩き東欧・中欧諸国旅:ブダペスト】ペストの市壁跡を辿るコース

【街歩き東欧・中欧諸国旅:ブダペスト】ペストの市壁跡を辿るコースハンガリー

冒頭の写真、Wikipediaより引用

ブダペストは、1873年にブダとペスト、そしてオーブダの3都市が合併してできた街です。

1867年、オーストリアとハンガリーの間にアウスグライヒが結ばれ、オーストリア・ハンガリー二重君主国となりました。

アウスグライヒが結ばれた直後から、ブダとペストの合併の準備は急速に進んでいきました。

実は1830年代初めの時点でこの3都市を統合しようという考えは唱えられていました。1848年革命後、当時のハンガリー政府はこの3都市の合併を政令で定めました。しかしそれでもやはり具体的な話はなかなか進みませんでした。アウスグライヒ以降、やっと3都市合併の話が現実的なものとなったでした。

ブダペストが二重君主国の一方の首都となったことで、街は急速に発展していきます。

18世紀以前のペストの地図を見ると、街は周りを市壁で囲まれています。しかし現在のペストにはその市壁はありません。ペストが経済的に発展して行く過程において、市壁は取り壊されていきました。そしてブダとペストが合併したことで、近代の街として更に発展を遂げることになります。

実はペストには18世紀以前の市壁の一部が保存されている場所があります。

今回の街歩きのテーマは、中世のペストの市壁跡。現代のペストで見ることができる中世の跡を探ります。

ルート案内|ルートマップ

Wikipediaより引用

18世紀のペストは、現在のヴァームハーズ環状通り(Vámház krt)ムーゼウム環状通り(Múzeum krt)カーロイ環状通り(Károly krt)の内側にありました。つまり、都市の境界にあった市壁は、現在の環状通り沿いに築かれていたのです。

今回のコースのスタート地点はFővám tér。ガイドブックでもおなじみの中央市場の前の広場からスタートします。ここからはほぼ一直線なので迷うことはないと思います。基本的に環状通りを一本内側に入った通りを真っ直ぐ行くと覚えておいてください。

所要時間は3時間です。

スタート|Fővám tér

Fővám tér:
ブダペストの5区と9区の境にあり、中央市場前の道を渡った反対側に位置します。自由橋の袂です。

この広場は1817年にはドイツ語風の”Salzplatz”という名で呼ばれていました。1850年代になると、ハンガリー語の名に変わり”Sóház tér”、1866年に更に”Só tér”と改名されました。第二次世界大戦後の1949年から1991年には”Dimitrov tér”、そして1991年からは”Fővám tér”と呼ばれています。

この広場は1949年にディミトロフ広場と改名されるまで、塩に関連した名前が付けられていました。それは19世紀にこの場所に塩の管理所があったことに由来します。

ディミトロフはブルガリアの共産主義者。1954年には彼の功績を称えこの場所にディミトロフ像が建てられたということです(ディミトロフ像は1992年にSzoborpark Múzeumー現在のMemento Parkーに移されました)。

Fővám térへの行き方はいろいろあるのですが、地下鉄でもトラムでも、駅を降りたらFővám térをヴァーツィ通り(Váci utca)の方向に歩いて行きます。

ヴァーツィー通りの入り口あたり、地面を見ると一つ目のペストの市壁跡を見つけることができます。

と言っても、現在この場所には市壁として壁が立っているわけではありません。しかし、この場所に以前市壁が存在し、門があったということが分かる様に、地面に石で跡がなぞられています。

ここに門があったということがわかりますね。上の1758年の地図を見ると、”Belgrádi(ベルグラード)門(?)”と書かれています。

さて、ではこの跡を辿って次の目的地に向かいましょう。Só utcaを真っ直ぐ歩いてください(ちなみにこの道は「塩通り」という名です。昔の名残が残っていますね)。

Bástya Park|50mの城壁

Budapest, Bástya utca 3

古い文献によると、ペストの最初の市壁は1460年から1480年のマーチャーシュ王の治世に造られたということです。

この公園には、その市壁の一部が約50メートルに渡って保存されていて、自由に見ることができます。

以前はパーキングがあったこの場所、公園として整備され2022年3月にオープンしました。

公園の工事が行われている間も、砲弾や土器、15世紀の石積みの井戸など、多くの考古学的発見がありました。

壁に沿って階段が設置されています。階段を登ると、当時の市壁の天辺に沿って歩くことができます。綺麗に整備されているのですが、足場は網目状になっていて下が見えます。高所恐怖症の人はちょっと怖いかもしれません(私は足がすくみました…)。

市壁の役目は敵から街を守ること、敵の襲撃時にはこの場所に兵士が配置され、四角い窓から攻撃しました。当時の兵士の目線で体験できるコースにしているのでしょうね。

バスティヤ公園はユネスコの世界遺産にも登録されています。

ゆっくり見学した後は、Bástya utca沿いを更に歩いて北上します。

Történelmi Városfal Bemutatóhely|保存された市壁

Budapest, Királyi Pál utca 13b

Bástya Parkから続く市壁の一部。この場所でも見ることができます。

普段この場所は鍵がかかっているのですが、道を渡って反対側に観光案内所imagine Budapest(サイト)のオフィスがあり、そこに行くと鍵を開けてくれます。

古い書物に残るブダペストの絵も展示されていて、見応えがある展示室です。

この後は、Bástya utcaに戻り、この場所に実際に市壁が立っていた頃を想像しながら北上して行きます(Kecskeméti utcaの方向に歩いて行きます)。

Kecskeméti utca|メモリアルボード

Budapest, Kecskeméti utca 14

「ここには中世のペストの市壁がありました」と書かれたメモリアルボード。この場所にはペストの市街に入る門の一つ、ケチケメート門がありました。

気にしていないと通り過ぎてしまいそうですが、気にして辿ってみるとその発見が嬉しいです。

Magyar utca|パーキングの中の市壁

Budapest, Magyar utca 33

ここから先の区間は、家と家の間に市壁が隠れて点在しています。

まずは、ここ。何の変哲も無いシティーパーキングです。

バーの奥をよく見てください。中に中世の市壁の一部が見えます!

車に気をつけてサッと中に入りました。

ちゃんと案内板もかかっています。すごく古そうな石積みですね。

Magyar utca|メモリアルボード

Budapest, Magyar utca 36

「この建物の階段部分に15世紀の市壁が保存されています」

残念ながら、この日は中に入ることができませんでした。

このMagyar utca方向から市壁が見えるのはここまでです。

ここからは環状通り(Múzeum krt)側を歩きます。

Kecskeméti utcaまで戻って、Múzeum krtに出てください。

ホッと一息ティータイムのお誘い:
Fővám térからここまではそんなに長い距離ではないのですが、市壁の跡をゆっくり見て歩いていると、少し疲れてくる頃です。この辺でティータイムにしてもいいかもしれません。この辺りには美味しいコーヒーを出すカフェが沢山あるので基本的にハズレはないのですが、この辺りで1番のオススメはGeraldine – Auguszt a Múzeumkertbenです。国立博物館の後ろ側(敷地内)にあるので道を渡りますが、静かでゆったり素敵なティータイムになると思います(【ハンガリー生活】地元の人が行くブダペストのおすすめカフェ vol.4をご参照ください)。

Múzeum krt|建物に隠れた市壁探し

  • Múzeum krt. 31-33
  • Múzeum krt. 29
  • Múzeum krt. 21
  • Múzeum krt. 13-15|Központi Antikvárium

さて、Múzeum krtに戻りましょう。

これらの建物は一般の建物なので、ドアが開いていない時は入れません。タイミングよくドアが空いたらラッキーです!ササッと建物に入ってみてください!もし、何か用かと聞かれたら、正直に中庭にある中世の市壁を見たいと言ってください。大抵は笑顔で入れてくれます。

建物の外にはメモリアルボードがかかっていて、その建物の中庭に市壁の一部があることがわかります。

Múzeum krt.沿いの建物の中を覗き込みながら歩いて見てください(ちょっと変な人みたいだけど、気にしない!)。もしかしたら建物内の中庭に向かった窓の向こうの市壁の跡があるかもしれません。

私が見つけたのは、Múzeum krt. 13-15のKözponti Antikvárium。古本屋さんなのですが、奥を覗き込むと、中庭に向かう窓の向こうに市壁の様なものが見えました。

勇気を出して店員さんに聞いたら、快く中庭側の窓を覗かせてくれました。他にも入り口のガラス越しに奥の方にある窓の向こうを見ることができる場所もありました。

外から見えない場所にある中世からの宝探しの様で楽しいです!

Középkori bástyafal részlet|外から見える最後の市壁

Budapest, Ferenczy István utca 28

市壁が外から見える最後の場所です。

メモリアルボードもかかっています。

どうやら18世紀には市壁の両側を挟む様に建物が建てられ、市街への入り口であった門と塔は壊されたようです。

Astoria|メモリアルボード

Kossuth Lajos utca

この場所には道を挟んで2つのメモリアルボードがかかっています(一つは地下道にあります)。

この場所はペストの市街に入るための最も重要な門がありました。ハトヴァン(Hatvan)門と言います。

1963年、この場所で地下鉄開設のための工事をしていた時、マーチャーシュ王時代のハトヴァン門とそれを囲む様に建てられていた円形の壁の基礎部分が見つかったそうです。

ハトヴァン門は1808年に壊されました。

ゴール|Vörösmarty tér – Váci utca入り口にあるメモリアルボード

ここから一気にVörösmarty térのVáci utca入り口まで歩きます。

まっすぐDeák Ferenc térまで歩き、そこからVörösmarty térの方角に歩いてください。

もちろんショートカットもできますが、昔の市壁があったであろう跡を想像しながら辿って歩くのも楽しいです。この辺りは街の中心地なので、常に多くの人で賑わっています。

ブダペストのファッションストリート、Deák Ferenc utcaを抜けると到着しました。

Váci utcaの入り口、現在のH&Mの所にもメモリアルボードがかかっています。

ここにはヴァーツィ(Váci)門がありました。ヴァーツィ通りというのはこの門の名前が由来だったのですね。

地面を見ると昔市壁があったであろう場所がなぞられています。

ここが中世のペスト市街への入り口でした。なんか感慨深いです。当時もここは今と変わらずたくさんの人で賑わっていたのでしょうね。

まとめ

今はないペストの市壁の痕跡を辿る旅、なかなかロマンがあります。

このコースを辿っている途中、もしかしたら私が見落とした市壁スポットが見つかるかもしれません。

私はこのコースを休みなく3時間かけて歩きました(途中で喉が渇いている事に気づき、スーパーで1.5ℓのペットボトルの水を買って一気に半分飲み干してしまいました 笑)。

ブダペストの街には100年以上の建物がたくさん残っている上に至る所にメモリアルボードが掛かっていて、街中が博物館の様です。

目についたら足を止めて読んでみると、新たな発見があるかもしれません(メモリアルボードはハンガリー語で書かれています。気になったボードはGoogle translateのカメラ機能で読んでみても意味が取れると思います)。

今回はペストに残る市壁跡を辿るコースでした。

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