【20世紀の東欧・中欧諸国旅・チェコ】クレメント・ゴットワルト(Klement Gottwald)

【20世紀の旅・チェコ】クレメント・ゴットワルト(Klement Gottwald)20世紀の東欧・中欧諸国旅

クレメント・ゴットワルトって誰?

1896年11月23日 オーストリア・ハンガリー二重君主国・デーディツェ 生
1953年3月14日  プラハ・チェコスロヴァキア 没

クレメント・ゴットワルトは、チェコスロヴァキア共産党の指導者であり、チェコスロヴァキア首相、そして大統領も務めた人物です。チェコスロヴァキアの独裁者であり、その時代を代表するスターリン主義者でした。そのため、現在のチェコでは最も嫌われている歴史上の人物の一人です。

チェコの首都・プラハに残るゴットワルトにまつわる場所を辿ってみました。

Kulturní dům Domovina | 文化の家・ドモヴィナ

住所:Na Maninách 1525/32a, Praha 7 – Holešovice

プラハ・マサリク駅前の停留所から14番トラムに乗り、美しいプラハの街並みを見ながら走ること約10分、Maniny停留所で下車します。文化の家・ドモヴィナ(Kulturní dům Domovinaは、そこから少し歩いた静かな通りの一角にあります。

この建物は1919年から1922年にかけて、鉄道従業員の住宅として建てられました。 設計者はオットー・マカ(Otto V. Máca)とカール・ロシュティク(Karel Roštík)です。

中に入ると奥に2つホールがあります。ここは1922年から1995年までは映画館として使われていました。

プラハっ子の娯楽の場所だったんですね。この建物は、1975年に文化的建造物に指定されています。

そしてこのドモヴィナはゴットワルトにとっても重要な場所でした。

1929年2月18日から23日にかけて、チェコスロヴァキア共産党第5回大会がこのホールで開かれました。その時にゴットワルトがチェコスロヴァキア共産党の党首に選出されたのです。

ゴットワルトの政治家としてのキャリアはここから始まったと言っても過言ではありません。

ドモヴィナの外壁には、このことを記したメモリアルプレートが設置されています 。

2023年6月撮影

2023年6月にこの場所を訪れた時、プレートの上には赤いスプレーで「Vrah(殺人者)」と書かれていました。プレートの周りに沢山の落書きがあり、ゴットワルトがチェコの人々にどう思われているかがよくわかりました。

Národní památník na Vítkově | ヴィトコフの丘記念館

住所:U Památníku 1900, Praha 3 – Žižkov

プラハ中央駅の停留所から5番9番15番26番トラムで一駅、Viktoria Žižkov停留所で下車します。中世の雰囲気の残るオールドタウンとはまた違った街並みの通りを、長距離列車が走る鉄道(その場所から鉄道が見える訳ではないので、地図で方向を確認してください)の方向に向かって抜けると、緑生い茂る丘が見えてきます。その丘を登りきったところにヴィトコフの丘記念館(Národní památník na Vítkověがあります。

ヴィトコフの丘は、チェコの歴史的にとても重要な場所です。

1420年、この丘で神聖ローマ皇帝ジギスムントの軍隊とヤン・ジシュカ率いるのフス派の軍隊が戦い、フス派の決定的な勝利を収めました。

フス戦争(1419年ー1434年):ボヘミアとポーランドを中心とするキリスト教改革派・フス派(開祖・ヤン・フス)の信者たちと、それを異端としたカトリック、神聖ローマ帝国の間で起こった戦い。

1928年(から1938年)、チェコスロヴァキア軍の兵士を讃え、この場所に国民解放記念碑が建てられました。 第二次世界大戦後には反ナチス抵抗を記念するために再建されました。そして1948 年以降、この場所は国家のイデオロギーを構築するために使われるようになり、チェコスロヴァキア共産党の党幹部がここに埋葬されることになりました。

モザイクの装飾も素晴らしいです。

1953年3月14日、ソ連の指導者スターリンの死の5日後にこの世を去ったゴットワルト。彼の遺体は防腐処理をされて、この建物に安置されました。

防腐処理がうまくいっていなかったのか、ゴットワルトの遺体は腐敗が始まり、1962年には火葬されました。そしてゴットワルトの遺灰は再度同じヴィトコフの丘に納められました。

体制転換後の1990年代、ゴットワルトの遺灰はプラハ市内のオルシャンスケ墓地(Olšanské hřbitovy)にあるチェコスロヴァキア共産党員の共同墓地に安置されました。

記念館の地下には現在ゴットワルト廟(レプリカ)が展示されていて、当時の面影を偲ぶことができます。

記念館(博物館)の情報(2023年9月)

ヴィトコフの丘はプラハを一望できる小高い丘で緑も多く、プラハ市民のいいお散歩コースとなっています(公園は無料です)。記念館の営業時間は季節によって異なるため、サイトでご確認ください。
入場料金(大人): 
• 記念館の展示および屋上展望台 ー 120 CZK
• 記念館の展示のみ       ー 80 CZK
• 屋上展望台のみ        ー 80 CZK

記念館の2階にはカフェがあるのですが、カフェのみの利用は無料です。

記念館のサイト(チェコ語と英語)はこちらです。

ヴィトコフの丘に行かれた際は、記念館と屋上展望台が含まれているチケットでの見学をお勧めします(「展望台だけでいいかな〜」と思って屋上まで登ると、途中で目にする内装が素晴らしく、公開されている展示室全部を見たくなります)。屋上展望台からは言葉通りプラハの街を360℃一望でき、圧巻です(観光客はあまり来ないのか、私が行った時は屋上展望台は私1人貸切状態でした。プラハを見下ろすなら、どこの展望台よりもここをオススメします)。

Olšanské hřbitovy | オルシャンスケ墓地

住所:Vinohradská 1835/ 153, Praha3

プラハ中央駅からは15番トラムで走ること約20分、大きな壁が見えてきます。何だろうと思って窓から覗き込むと、壁の向こうには大きな墓地が広がっています。

1680年に作られたオルシャンスケ墓地(Olšanské hřbitovyは、チェコで一番大きな墓地です。この場所にはチェコを代表する文化人や政治家も多く眠っています。お墓のスタイルも様々で緑が多く、季節ごとに違った美しさを見せてくれます。

正面の門から敷地内に入るとすぐに案内板があり、どこにどんな著名人が眠っているかが案内されています。

一時はソ連の指導者レーニンやスターリンと同じように防腐処理がなされ、霊廟に安置されていたゴットワルトですが、現在はここのチェコスロヴァキア共産党員の共同墓地に埋葬されています。彼が眠っているのは、この地図の71番の場所でした。

ゴットワルトの名が刻まれた墓石は、正面入り口の案内板から左に、壁に沿って真っ直ぐ歩くと見つかります。共同墓地とは言え、隣の墓石と比べると小さめですね。

現在は綺麗に整備されてお花も置かれていますが、2016年の夏にはこの墓石に赤いペンキがかけられれたという事件がありました。

まとめ

第二次世界大戦終結まで、ゴットワルトは各地を転々としていました。残念ながら今回はゴットワルトがプラハで住んでいた建物(戦間期の一時期)を見つけることはできませんでしたが、博物館とお墓を見るだけでも彼の生きた証を垣間見ることができます。

参考文献の一部:

  • PhDr. Rudolf Kroll, Gottwald a jeho doba, Praha, 2019.
  • Taborsky, Edward, Communism in Czechoslovakia, 1948-1960, Princeton University Press, 2015.

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